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ヨーガとセラピー シュリ・K・パッタビ・ジョイス



この記事はAshtanga Yoga New YorkAYNY)ディレクターのエディ・スターン氏がAYNYホームページ上のBlogで掲載したものです。エディ・スターン氏の許可のもと翻訳・配布しています。(配布:バリー・シルバー / 翻訳:福永美奈子)

AYNYホームページ(Blog http://ayny.org/yoga-and-therapy.html
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これは、1977年にグルジがバンガロールで行った講義の記録です。AYNYホームページのSri.K.Pattabhi Joisのページでも読むことができます。この論文は1977年にThe Budha Vacana Trust社より発行された「Yoga and Science (ヨーガと科学)」という書籍に掲載されました。インドでも希少価値が極めて高いこの書籍を探し出してくださったショーン氏とレスリー・カミノフ氏に心より感謝を申し上げます。
Yoga and Therapy
By Sri K Pattabhi Jois
ヨーガとセラピー
シュリ・K・パッタビ・ジョイス
精神とは、まるで水星のごとく変わりやすいものです。純粋かそうでないかという区別なく一定しない精神は無作為に流れて抑制されることなく行動していきます。抑制されない行為であるがゆえに精神は身体の各器官に影響し、それは病気をひきおこすだけでなく、精神そのものも危険にさらします。もし、精神が一点に集中している状態や安定している状態であれば、身体の各器官も整った状態となり病気から保護されます。幻覚もまた、精神の作用のひとつであり、あらゆる疾患をもたらします。
 その精神の制御と浄化の過程をヨーガと呼びます。マハリシ・パタンジャリはこのことを格言のなかでヨーガ・チッタ・ヴィリッティ・ニローダハ - ヨーガとはあらゆる精神の波立ちを制御して一定の対象にとどめる過程である -と説いています。これはまた、八支則 - ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(坐法)、プラーナヤーマ(調息)、プラティヤーハーラ(制感)、ダーラナ(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマディ(三昧)-という体系をもつアシュタンガ・ヨーガと呼ばれています。
 これらの八つの要素は、外的な修練と内的な修練の2つのグループに分けられます。禁戒、勧戒、坐法、調息の実践は外的な修練であり、制感、集中、瞑想、三昧は内的な修練です。外的な実践なくして内面的な実践をすることは非常に難しく、それゆえ、まず、第一に私たちは外的修練から積んでいくべきです。
 外的な修練のなかで坐法と調息の実践は極めて重要です。器官の異常による病気や体の弱い人は、ほぼ禁戒や勧戒の実践ができません。それゆえ、私たちは禁戒と勧戒の実践をするためにも身体と器官を不調のない健全な状態に整えなければなりません。ウパニシャッドやヨーガに精通したヨーガ行者は、坐法と調息の実践が外的な修練のなかでも極めて重要だと考えます。ウパニシャッドのなかのこのことに関する出典で次のようなものがあります。
 Asanam pranasamrodhah pratyharashca dharana | dhyanam samadhiretani shadangani prakirtitah ||
 シュリ・スヴァートラーマはハタ・ヨーガ・プラディーピカーのなかでこのことをこう説明しています。
 Hathasya prathamangatvat  asanam purvamuccate | Tasmat tadasanam kuryat arogyamcangalaghavam ||
これは、私たちは健康と回復力という要素なしではほぼ何事も成し遂げることはできないということを意味しており、健康であるには身体活動は欠くことはできず、それゆえに坐法と調息の実践が重要であるという意味です。
 アーサナは病気の症状の緩和を導いて精神の集中をもたらします。そして、その坐法の実践においてレチャカとプーラカ(呼気と吸気)という方法は不可欠です。シュリ・ヴァーマナは坐法の実践法を詳細に説明しています。もし、吸気と呼気の方法を理解せずに坐法の実践をするならば、病気が治癒するどころか無数の病気にかかりやすくなるでしょう。
それゆえ、シュリ・ヴァーマナは次のように説明しています。
Vina vinyasa yogena asanadinnakarayet ||
我々は吸気と呼気の方法をとらずに坐法の実践をすべきではない。
シュリ・パタンジャリもまた、調息の実践について教典のなかでこう説明しています。
Tasmim sati shavasaprashvasayorgati vicchedah pranayamah ||
プラーナヤーマは、吸気と呼気を停止する呼吸の内的保留(クンバカ)の過程である。
またこれに加えて、呼吸の内的保留(クンバカ)がプラーナヤーマであり、坐法の実践においてレチャカとプーラカの制御はなされていなければならない。つまり、坐法は呼気と吸気の制御によってのみ実践されうるものである、とパタンジャリは説いています。
この方法は、ヨーガ・スートラに精通した経験を積んだヨーガ行者からのみ学ぶことができるものです。このように、実践において我々は身体的にも精神的にも病気をはねのけ、精神の安定を得ることができます。このヨーガに関して、ヤージュナヴァルキヤは次のように述べています。
 Tritiya kālastho rivah svayam samharate prabham | Tritiyange sthitho dehi vikaram manasam tatha ||
ちょうど1日の第三フェーズの時間帯、つまり夕方に、太陽が平和な雰囲気を作り出す太陽光線を導くように、ヨーガ行者もまた坐法という第三の要素の実践によって自身を精神の不浄から解き放ち、平静でいることができるのである。
  それゆえに、坐法の必要性は欠くことができません。
整った呼吸による定期的な坐法の実践によって多くの病気を治癒することができます。慢性的なものではなく感染症の治療には医師の力が必要かもしれませんが、慢性疾患は坐法と調息の実践によって治すことが可能です。
私自身の長年の経験上、医師では治せない多くの(慢性的な)病気は坐法と調息の実践による治癒が可能と言えます。例えば、喘息、糖尿病、胃病、リウマチなどといった薬では治せないとされている病気は、医療に頼らずとも治療することができます。これらのよく知られている病気は新薬が開発されない限り治癒は難しいとされています。今のところそういった病気に効果のある薬はありません。しかし、繰り返しにはなりますが、これらすべての慢性的な病気はヨーガアーサナとプラーナヤーマの実践によって治癒可能なのです。その証拠に、私たちのインスティチュートでは多くの慢性疾病にかかった人々が正しいガイダンスのもとでの坐法と調気の実践によってその症状を緩和しています。また、麻痺や便秘、痔などといった病気は薬に頼らずとも、アヌパラ(液体)の実践によってわずかに和らげることができます。そのヨーガの知識の土台として本質的に必要とさ れるのが、信念と勇気、そして冒険心です。
この科学の時代において、病気の診断基準は機器によって行われていますが、私たちはこの基準は適用していません。例えば、血圧に悩んでいる人というのは視力の低下を感じており、仕事でのちょっとした活動でさえ疲労が増し、いつも横になっているようになります。これらの症状によってその人の血圧に障害が出ていると診ることができます。一方で、もし、前述のような症状のない人に医師が医療機器だけの結果に基づいて患者を診断したとしたら、ほんの幻覚症状のある患者が、ともすると本来は生じていなかった血圧の障害を招きかねません。それゆえ、機械装置による病気の診断理論はどうしても認め難いと言わざるをえません。
ヨーガの実践によって、数々の脈、細胞、静脈、血しょう、ガス、肝臓、痰、血行などといったものを浄化することができます。身体の内側の浄化そのものが、病気の治療を促進します。通常、様々な症状の浄化には、熱と呼吸が必要です。ちょうど坩堝のなかの金が金工によって火力と風力で精製されてすべての不純物が取り除かれた後に輝かしい金となるのと同様に、不純物である病気をとり払うためには熱と呼吸が必要です。だからこそ、ヤージュナヴァルキヤはこう述べています。
Pranayamabhyasayuktasya sarvarogakshyobhavet | Avuktabhyasayuktasya sarvarogasamudbhava ||
 アーサナとプラーナヤーマを正しく実践する者は病気とは無縁であるが、不適切な方法で実践するならば様々な病気を生じる。
アーサナにはプラーナヤーマが不可欠であり、それはレチャカとプーラカの方法に従って実践されなければなりません。調気の知識を伴わないアーサナの実践ではほぼ得るものはないでしょう。
さて、アーサナがいかに病気の治療と予防に重要かということですが、例えばジャーヌ・シル-シャーサナ、バッダ・コーナーサナ、ウパヴィシュタ・コーナーサナといった一定のアーサナは糖尿病の治療に効果があります。
便秘や肛門の病気にはバッダ・コーナーサナが、効能があります。肛門を引き締めるバッダ・コーナーアーサナの坐法では深くレチャカとプーラカを行います。シュリ・ヴァーマナは、この実践が肛門の病気を癒すと説明しています。私は経験上、多くの人たちがこれらの実践によって効果を得ているのを見てきました。
しかし、これらのアーサナの安定を保持するには、それ以外のアーサナの実践がまず大切です。ある種の病気に効果があるとされる坐法の実践において、少なくとも50回のレチャカとプーラカを十分に深い呼吸で行わねばなりません。この方法によって病気が治るのです。しかし、それら特定のアーサナだけを行っても、その特定の病気は治りません。ほかではなく、すべての器官が正しい血液循環によって機能している時にのみ病気が治癒するのです。このことを理解するため、精通したヨーガ行者のもとで実践をすべきです。つまり、これが、グルが極めて重要な理由なのです。
結論として、正しい知識でヨーガを実践する者はいかなる疾病や病の不安もありません。しかし、もし同時に食や習慣、会話などに関してなんらかの不調があるならば、前述の効能はほぼありません。それゆえ、私の経験上、またスートラに精通したヨーガ行者と同意見で、ヨーガの実践者は食、習慣、会話、人との付き合いについても整えるためにその実践をしていくことがあらゆる種類の病気から身体的にも精神的にも自身を解放へと導いていくことができるのです。
Yoga and Science(ヨーガと科学)」 Buddha Vacana Trust1977発行、インド・バンガロール

1977
5月インターナショナル・シヴァナンダ・ヨーガ・ヴェーダンタ・センター主催「ヨーガとサイキック・リサーチに関する国際会議」での講演記録より。


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